当たり前の日常に感謝

おはようございます。

支援センターふなばし

ケアマネジャーの佐藤寛子です。

 

東日本大震災から、10年が経ちました。

10年、あっという間です。

被災地の方々にとっては、あっという間の10年だったのか、長い10年だったのか。

 

 

10年前のあの瞬間

ケアマネジャーとしてご利用者さんのお宅を訪問していました。

今まで感じたことのないような大きな揺れで、とっさにとった行動は大きなタンスを押さえること。

 

パーキンソン病のある方でしたから

「今日の体の動きはどうか?奥さんと2人で近くの避難所まで行けるか?一緒に行くべき?事務所に戻るべき?」

そんなことを考えながら、その方のすぐ隣にあった大きなタンスを押さえていました。

 

いろいろ物が落ちたりしましたが、幸い大きな被害なく揺れがおさまり。

 

「ビックリしましたね、怖かったですね。」

なんて話していたら、テレビには見たことのない光景が写し出されていました。

ご利用さん・奥さんと

「え!?これ、今の映像?本物ですか?」

 

あまりの光景に、現実のものとは思えませんでした。

 

それから10年。

 

 

正直、自分事として受け止めていません。

様々な報道がされていても、どこか他人事。

 

全てが流され、全てを失う。

 

そんな絶望の中、どうやって復興してきたのだろう

どうやって前を向くことができたのだろう

 

全く想像がつかないのです。

 

 

 

大人になって、涙もろくなりました。

 

それは涙腺が弱くなったことが原因ではなく

ここまで生きてきた過程で、様々な経験をし、様々な感情を知ったから。

その自分の数少ない経験の中から、どこか共感する。琴線に触れる。感動する。分かち合う。

 

そんな理由で、涙がこぼれるのではないかと思うのです。

 

 

経験していないことは、リアルに想像できない。

「大変だろうなぁ、辛いだろうなぁ」とは思っても、この震災に関しては、あまりにも想像の域を超えすぎていて、わからない。

わかったような言葉を口にできない。

 

 

でも、ひとつ感じること。

 

震災後、たくさんのスポーツ選手や芸人さん、アーティストの方々が応援に駆け付けました。

 

どれほど被災した方々の力になったことでしょう。

たとえひと時であっても、どれほどの笑顔と喜びと感動をもらったことでしょう。

 

辛く苦しい時に、応援に駆けつけてくれる人がいる。

その心強さと有難さだけは、何となく想像することができるようになりました。

 

 

 

困りました

真面目な話すぎて、終わり方がわかりません

 

だから、つまり、なんだろう…

 

 

暑苦しいと言われても

今どきじゃないと言われても

 

困難に立ち向かい、強く生きていく上では

やっぱり

努力・根性・義理・人情が必要

という話??

 

違いますね

 

 

たとえコロナ禍にあっても

全てがなくなるわけではない

当たり前の日常に感謝して。

 

 

 

やっぱり

この話の選択、間違えたな…

自分が扱えるスケールではありませんでした

 

 

あ、

会社としての非常事態の対応、

避難訓練のように毎年確認、必要ですね。

今、実感。