おはようございます
支援センターふなばし
ケアマネジャーの佐藤寛子です。
今、担当させていただいているご利用者さんで
とても仲のいいご夫婦、Aさん。
結婚して60年、というけれど
まぁ、それはそれは仲良しで![]()
ご夫婦で買い物に行く時は
手をつないで行くのでは?と思うほど、仲良し![]()
ご主人は脱サラし、電子部品製造の会社を設立。
長年、代表を務めてきた方。
それはそれは立派な福耳をお持ちで
柔和なお顔立ちから、人柄の良さがにじみ出ている方。
奥様は、その会社の経理を担当してこられ、
シャープなお顔立ちから、リケジョを連想させ
とても素敵な笑顔を見せてくださる方。
日本は高度経済成長期の時代。
ご主人の会社は、松下電器産業に電子部品を納めており、
日本で最もすぐれた製品として
松下幸之助さんから表彰を受けるほど。
当時のご主人のメモには
「自社技術をさらに向上させ、世界のライバルに勝つ」
との言葉が。
松下幸之助さんからの手紙には
「わが國生活文化の発展のため、たゆまぬ努力を続ける所存」
との言葉が。
昭和47年7月、と書かれていた。
なんというか・・・
そこには
日本の発展を願う
アツい男たちの想いが込められていて
アツい男たちがいた。
そんな方々がいたからこそ、今の日本があるんだなぁ、と。
まさに
男性優位、企業戦士の時代。
そして
それを支えてきた女性たち。
「この人は、お金のことなんて知らない。いかに銀行からお金を借りるか、いかに資金繰りをするか、私はそんなことばかり考えていたのよ。」
そう笑って話す奥様。
そんなご主人の会社も
大手企業が、海外で安い製品を生産するようになり
打ち勝つことができなくなった、と。
負債ばかりが増えていった、と。
「どんなに精度のいい部品を製造できたとしても、海外で安く大量生産される部品には勝てなくなった。」
今は団地の1階に住んでいて。
「もう、広い家はいらない。歳をとったら手入れもできない。主人といつも、ここは静かで平和でいいねと話している。」と奥様。
「私の人生はいつもツイていた。そう思うの。」と。
ご苦労もたくさんあったと思うのです。
たくさんの荒波を乗り越えてきたと思うのです。
それでもツイてる人生、幸せな人生だったと。
それが心からの言葉だと、ご夫婦の様子からひしひしと伝わってきます。
「あなたのお仕事は、いいお仕事ね。たくさんの方から感謝される素敵なお仕事ね
」
泣きそうになった。
そうなんです。
ケアマネジャーという仕事は
介護という仕事は
素敵な仕事なんです![]()

これからも
ご夫婦、仲睦まじく
穏やかに暮らしてくださいね。
あの時代を戦い抜いてきた皆さんのおかげで
今の日本があります。
本当にありがとうございます。
