終えるということ

おはようございます。

支援センターふなばし

ケアマネジャーの佐藤寛子です。

 

 

皆さんは

自分の命がいつ終わるか

知りたいですか?

 

 

人はいつ生まれるか

だいたい予測がつくけれど

いつ終わるかは、わからない。

 

人生という航海の終わりを

知っていた方がいいのか

知らない方がいいのか。

 

 

 

この仕事をしていると

「早くお迎えが来てほしい。」

「死ぬことほど、難しいことはない。」

そんな言葉を

何度も耳にするけれど。

 

人が

命を終えるその瞬間を

何度も目にしたけれど。

 

「様子がおかしい。どうすればいい?」

そんなパニックの電話を受けて

駆け付けて

今すぐ救急搬送が必要と判断して

119番して

その瞬間にも

「もうダメかもしれない。」

「どうにか間に合って。」

そんな願いを何度もしたけれど。

 

 

 

この仕事をしていると

人生の終わりを迎える方を前にして

妙に冷静な自分もいて

驚くほど客観的に

「自分ができることをする。」

そんな風に思ったりする。

 

自宅で最期を迎えると決めたら

必ず医師も看護師もいるから

ケアマネの出番はほとんどなくて

必要に応じて

必要な手配をする。それだけ。

 

ご家族の心の不安を聞く。

何も解決はできないけれど

ただ、聞く。それだけ。

 

 

 

それまで病と闘ってきて

でも、死を受け入れる瞬間があって

そうなると

私がお会いした多くの方は

突然、淡々とされ

穏やかに

「もう、無理はしなくていいかな」

「楽であればいい」

そんな言葉を口にされた。

 

 

病との闘いから解放されて

命を終える、ということに

どこか、ホッとする瞬間があるのかな。

 

 

どこか実感がないのは

両親であったり

友であったり

仲間であったり

自分の大切な人が

この世からいなくなる、ということを

経験していないからだと思う。

当然のことながら

自分自身が

命を終えるということを経験していないから。

 

 

 

時々ふと

「今、死んだら後悔があるかな?」

「いや、今死んでも、後悔はないな。」

そんなことを思ったりするけど

それはきっと

子どもだったり

会社のスタッフさんだったり

守るものがないからだろうな。

 

そうは言っても

やはり目の前に迫ったら

冷静ではいられないだろうな。

 

 

自分の大切な人が

人生を終える場面を迎えたら

自分は、何を感じるんだろう。

想像したくないですね。

 

 

 

 

朝から突然

何の話!?って感じですね

失礼しました。

この写真がふと目に入り

なんだかとても切なくなったので。

 

 

こんな話をしてみました。

どうか

心が穏やかであるように。

 

 

 

 

さて、

本日、第4金曜日

ということは

ひろこちゃんねる

 

 

本日のゲストは

山梨県1人目の産業ケアマネとなった

五味和仁さん

 

初めて

紡ぐ会メンバー以外の方がゲストということで

緊張しております

 

12:15~

お昼休憩の方は

もしよろしければ、ぜひ