宮﨑なおきを偲ぶ会

おはようございます。

支援センターふなばし

ケアマネジャーの佐藤寛子です。

 

 

昨夜

後藤先生、塩原さん、だんちゃん、よっぴーが発起人となり

「宮﨑なおきを偲ぶ会」が開催されました。

 

 

お店を貸し切りにするほどの多くの方が集まり

それぞれが自己紹介で宮﨑さんとの思い出を語り

いつも話題の中心でいたい宮﨑さんは

お空の上で

さぞかしご満悦だったことでしょう

 

 

参加者は

介護屋みらいさんスタッフはもちろんのこと

介護業界のみならず

中小企業家同友会・船橋支部の方だったり

倫理法人会の方だったり

船橋市議会議員さんだったり

立場も様々。

 

 

「宮﨑さんにお世話になった。」

「こんな言葉を言ってくれた。」

「最初は嫌いだったけど好きになった。」

「おかげで事業に繋がった。」

「選挙時の永遠のライバル。」

 

 

皆さんが語る思い出も様々。

様々ではありますが

何かしらの影響を与えたことは間違いなく

だからこうして

発起人の声掛けに対し

これだけの方が集まったのだと改めて思います。

 

 

 

こうした中。

久しぶりに3人が揃う。

近くで仕事していながらも

なかなか3人揃うことがなく

なんだかとても懐かしい気持ちになる。

 

 

だんちゃんと、よっぴー。

ここにもうひとり、荒井さんが加わり

自分で言うのもなんですが

介護屋みらいさんの一時代を支えていた。

 

よっぴーと私は辞めてしまったけれど

今もこうして笑い合えることを懐かしく、嬉しく思う。

 

 

「だんちゃん、その顔なんだよ。もっと笑えよ

そうして笑う顔を、嬉しく思う。

 

 

 

「どうして辞めたんですか?」

そんな質問をよくされるけれど

ちゃんと答えたことは、おそらく、ない。

上手く説明できないから。

 

けれど

この4人だけは

よっぴーが辞めた理由も、よくわかる。

私が辞めた理由も、よくわかる。

よくわかるからこそ

こうして久しぶりに顔を合わせれば

当時を振り返り、笑い合うことができる。

 

けれど

2人が辞めた後のだんちゃんの苦労は

如何ばかりかと、計り知れない。

 

自分が辞める時に一番相談したのは

だんちゃんだった。

 

2人が辞めて

だんちゃんは何を想ったんだろう。

ポーカーフェースのだんちゃんからは

なかなか読み取ることができない。

 

けれど2人が抜けたことで

会社に新しい風が吹き

介護屋みらいさんがさらなる発展を遂げたのは間違いない。

会社は生き物。

そうして進化していく。

 

 

 

そんなことを思う一方で

こうして自分も会社の代表となり

多少なりとも「社長」というものの気持ちがわかるようになると

よっぴーと自分が辞めた後の

宮﨑社長の心境を思うと、なんとも言えない気持ちになる。

 

 

いつも宮﨑さんは

うちら4人のことを

「みらいのパワーチーム

「最強チーム」

「バカにする奴がいたら許さねぇ」

そう言って

いろんな方に自慢気に話してくださっていた。

そりゃそうだ。

社長のやりたいこと、やれるように

とにかく前に進めていたんだから。

けれど

そこからひとり辞め

もうひとり辞め・・・

 

 

自分が今の立場となり

雇われの身だった頃にはわからなかったことが

多少なりともわかるようになり

辞めた後も

こうして一緒に活動させてくれていたことに

自分なりに

ずーっと感謝し続けている。

言葉では表現しきれないその感謝は

最後の最期に、どうにか行動に表し伝えたつもりでいるけれど。

伝わっていたと、信じたい。

 

 

 

と、まぁ

たまにはこんな話も。

偲ぶ会なんで

 

宮﨑さん

良かったですね。

結局はみんな

宮﨑さんのことが大好きみたいですよ