そんな日もあるよね

おはようございます。

支援センターふなばし

ケアマネジャーの佐藤寛子です。

 

 

神様がさすがだと思うのは

よく見てる、ということ。

 

神様がホントにいるのか

人間の心の拠りどころとして生まれた空想なのかわからないけど。

 

さすがだわ。

 

こんな書き方をすると

神様に対し

大変な失礼にあたるかもしれない。

けれど神様は

そんなことで怒ったりしないだろう。

 

 

 

 

昨日も書きましたが

大変有意義な週末を過ごしました。

たくさんの人に会い

たくさんの笑顔を見ることができ

たくさんの頑張りを見ることができ

知らなかった想いを知ることができ

そんな皆さんの姿から

たくさんの元気をいただきました。

 

「私もまた明日からがんばろー」って

思うことができました。

 

 

でもそれは

あくまでも自分目線からの話。

 

 

同じ空間

同じ状況にいても

そう思わない方も、きっといたことと思います。

そこは

ひとりひとり感じ方が違って当然。

 

 

 

自分自身は

そんな有意義な週末を過ごしましたが

いいことばかりは続かない。

打って変わって昨日は

久しぶりにテンション下がる1日・・・

 

「神様、そりゃないぜ・・・」

 

そんなことを思わずにはいられない1日。

 

「神様はやっぱりよく見てるよ・・・」

「いいこと、楽しいことばかりは続かない。」

「そう教えてくれているのですね・・・」

 

そんなことを思わずにはいられない。

 

 

 

悲しいことや

残念なこと

イヤなことや

悔しいこと

そうしたマイナスな感情は

ある程度のレベルであれば

きっと、こんな感じ。

 

 

「うぅっ、なんで自分がこんな目に

「どうしてこんな思い、しなくちゃなんないの

 

思わず涙こぼれることもあるでしょう。

 

涙と共に

自分の感情を放出し

どうにか心のバランスとって

乗り越える。

そうして人は成長する。

 

 

 

けれども

それを超える物事が起きた時

感情というものは

「無」になる。

 

すごいなー、人って。

 

これも防衛本能のひとつでしょうか?

それ以上のダメージを受けないために

何も感じさせないようにするのでしょうか?

いちいち何か感じていたら

自分で自分を支えきれなくなるから

何も感じさせないようにするのでしょうか?

 

まぁ

こうしてここに書けているだけでも

まだまだ「無」ではない証拠ですね。

 

ということは

究極の「無」は

この先にあるということか。

それはそれで

遭遇したくないなー

 

 

 

なんの話かわからずに

ごめんなさい

なんの話か誰にもわからなくていいから

書いてみたかっただけ

 

 

 

誰かに何かを伝えたくて

毎日、こうして綴っています。

いろいろある毎日だって

小さな幸せを感じることができれば

「日々是好日」

そんなことを伝えたいし

そんなことを自分でも感じたい。

「日々是好日」でいた方が

きっと、幸せ

ひとりひとり

価値観も幸せの基準も違う中で

自分にとっての「日々是好日」

それを勝手に書き綴っています。

共感していただけることもあれば

そうではないこともあると思います。

それでいいと思っています。

誰かひとりでも共感してくださったら

誰かひとりでも何か感じてくださったら

これ以上の幸せはありません

 

 

でも今日だけは

そんなこと、おかまい無視で

書いてみましたー

 

そんな日もたまにはあっていいだろう。

 

きっと今日はまた

日々是好日な1日になる。

 

 

 

でも大雨になるみたいだなー

濡れるのヤダなー

 

皆さまも

足元お気をつけくださいませ。

災害等、ありませんように。